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 元宿堰稲荷神社
旧千住四本煙突守護社

四本煙突「足立今昔より」
どこかへでかけての帰り道、電車の窓から四本煙突が見え始めると、なぜかわが土地に帰ってきたように、ほっとしたもんですよ・・・・
映画「煙突の見える場所」で有名になった東京電力千住火力発電所の四本煙突は、大正15年1月米国から機械を買い入れ発電を開始、当時の金額で1500万円、ボイラー用として建設。発電量77500KW。日本最大の火力発電所の象徴であった。鋼板製で内部は、耐火煉瓦巻 高さ83.82m 内径項部4.57m 底部5.44m 外形項部4.81m 底部6.40m 重量 鋼板1.66t 煉瓦456t 計622t
煙突の位置は、対角線の長さ一方は62.2m 片方が10.5mと極端に押しつぶした菱形に配置されていたため 見る場所によって1本にも2本にもさらに3本にも見えるところから お化け煙突と呼ばれるようになり 長いあいだ下町の人々に親しまれ足立区民とくに千住に住む人にとって四季折々周辺の風景の変化の中に不思議な調和したたたずまいがあった。
建築以来丗有余年にかたり点をつく 巨大な名物施設が微動の昭和史に残した偉業は計りしれない時は移り昭和丗九年千住の空から姿は消え今1部分が、元宿小学校の遊具として保存されている
資料;さくら土手 千二 足立区千住第二小学校 創立九十周年記念副読本
 江戸時代 河原の開拓し、その南側に水除提を築きました
これが、掃部新田と掃部提(かもんづつみ)です
今の千寿第二小学校正門前にあたるところが、掃部提にあたります。ここは明治の終わりごろに桜をうえ桜土手と呼ばれるようになったところです。
牛田駅の近くから西新井橋の手前までの、高さ4m、長さ約2KMの土手です、現在の荒川の土手ができるまでは、土手といえば、この通りしかなかったので、千寿第二小学校は「土手の学校」と呼ばれていました。
春になると、土手のあちこちに、丸太を組み合わせ、よしずばりの茶店ができ、土手には、床がはられ、床下は、子供達のよい遊び場でした。茶店では、サイダーや、おだんご、ゆで玉子、のりまき、、いなりずしなどをうっていて、赤い前掛け姿の、お姉さん達が、「お休みなさいませ」などと、大声で呼びたてていました。子供達は、土手で 「すもう」をとったりすみれ、タンポポをつみながら遊んでいました
江北橋あたりまでつづき、春の花見、夏の夕涼み、秋の月見、など人々には、なじみぶかい土手でした。
現在の荒川の土手が完成したのは 昭和5年のことです
平成14年 2002年4月 千寿小学校と千寿第二小学校が統合します
明治7年4月 千住にはじめて、公立学校として千寿小学校ができました
明治42年11月11日 千寿第二尋常小学校ができました
関東大震災、東京大空襲、復興 大きな流れの中 およそ90年 元気な子ども達の声が校舎いっぱいに
ひびきわたりました。
児童数の減小により 東京都足立区立千寿第二小学校の名がピリオドを告げることになりました。
名は千寿小学校 場所は千二小
とても寂しいですね。時代の流れを感じます
そう 私 千住sinの母校は 「東京都足立区立千寿第二小学校」です
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