日本では珍しくない話
Part 2
2002
.10.4
 
 
 
 
 
盥回しにされたキャプテン・フック
 
 
キャプテン・フック
 
 
 
 山梨都留市の小野地区、平成11年2月初旬。
 冬になると、昼間でもほとんど日が当たらない場所に100頭以上の犬たちが死と背中合わせで生きている。
現地で生まれた犬たちもいれば、新たに捨てられた犬たちもいる。
 生き地獄と言ったら、この「犬捨て山」にふさわしい表現。
 
 東京で集めたフードの運搬をかねて、久しぶりに犬たちの様子を見に行ったときだった。
数日前からかなりの雪が降っていて、犬たちはベニヤ板の犬小屋の中で寒そうに体を寄せあっていた。
 車に積み込んであったフードをおろしながら、
当時この場所に住み着いていたホームレスの夫婦に犬たちの様子を聞いてみた。
「雪で大変だね、犬たちは大丈夫か?」
「あ、今のところは大丈夫だ。雪さえとけてくれれば、少しラクになるよ。」
「そうだね …… ちょっと、なんでこのコたちが外にいるの?」
「12月にオスとメスをちゃんと分けて小屋に入れたのに …… なんでまた?」
「おやじがね、餌を持ってきたとき、犬舎のドアを開けっぱなしにしてよ、何匹が出てしまったんだ。
あわてて閉めたけど、5ー6匹が外にいる。全然捕まらない。」
「あのおやじってしょうがないね。
餌をおろした後俺も手伝うから …… 犬たちを捕まえて中に入れないと、また子犬が生まれるんだ。
これ以上増えたらたまらないからな。」
「あッ、忘れるところだった、子犬なら2匹いるよ。」
「なにッ!? 子犬?」
「去年、犬たちをわけたとき、もう腹に入ってたみたい。
1月末に4匹が生まれたけど、2匹はすぐ死んじゃった。あとの2匹を俺のところに入れた。
可愛いよ。2匹とも元気だ。」
「わかった、わかった、子犬たちは今日連れて帰るよ。」
 雪の中で走り回って1時間、やっと4匹を犬小屋に入れることに成功した。
1匹はどうしても捕まえることができなかった。
 
 子犬たちをケージに入れて帰ろうとしたとき、ホームレス夫婦が寝泊まりしている小屋の横に、
今まで見かけたことのない犬1頭がいた。
「何だこれッ! 純種なコッカ・スパニエルじゃないか! おい、この犬はどうしたんだ?」
「あ、これ? よくわからないけど、孫が生まれてよ、飼えなくなった人がここで預かって欲しいとおやじに頼んだらしい。」
「預けてきた? この寒さの中? じゃ、いつまた迎えにくるのか?」
「迎えにこないと思うよ。赤ん坊に良くないから、もういらないみたい。」
「これじゃ預けたとは言えないぞ。早い話、捨てにきたんだろう。」
「ま〜ね、オレは詳しいこと知らないんだ。おやじの知り合いらしい。」
「預けたって、良く言うよ。捨てにきたくせに …… 。」
 コッカのような室内犬を冬山に捨てるんだなんて。
 トンデモナイ野郎だ!
 ここは「犬捨て山」 ー まさしくその名の通りの場所。
 ハスキー、マラミュート、ゴールデン、ラブラドール、テリア、
シープドッグ、ポインターなどなど、そして今度コッカだ。
 
 雪の中に寝転がっていたコッカを抱き上げた。
体は毛玉だらけだし、そして耳先には氷の固まりがぶら下がっていた。凍傷一歩手前の状態だった。
「おい、このままだと、この犬は死ぬぞ。体は冷たいし、危ないよこれは。このコも子犬たちと一緒に連れて帰る。」
「おやじに聞いてみないと …… 。」
「いいんだ、それは。オレが連れて帰ったと言えばいいんだ。」
 
  帰りの車の中で、このコッカは騒ぎもせず、アッというまに寝てしまった。
久しぶりの暖かさのせいか、疲れがドッと出てきたようだ。
 家に戻ってから、子犬たちとコッカを洗った。チビたちは問題なくシャンプーができたが、毛玉だらけのコッカは大変だった。
長い毛はフェルト状態だったし、凍傷にかかっていた耳をさわると本気に怒っていた。
 このひどい毛の状態は私の手に負えなかった。
 
 翌日、コッカにふさわしい可愛いカットにしてもらうために、専門のトリマへ頼みに行った。
「わッ! かわいそう! どうしたんですか、このコは?」
 驚くのは無理もない。
コッカのような高級ブランド犬がこれほど悲惨な状態で見てしまうと、誰だってビックリする。
 経緯を説明してから、「何とかいい男にしてください。このままだと、病院にも連れていけないから。」
「無理ですよ、これは。コッカらしいカットはできませんね。丸坊主にするしかありませんね。」
 迎えに行ったとき、きれいさっぱりになっていたコッカを渡された。数ミリしか残さないショートカットだった。
 しかし耳だけはほとんどもとのままだった。
「とてもいいコでしたが、耳をさわろうとすると、すごく嫌がるのです。
瘡蓋にもなっています。耳が痛いみたいですね。仕方がなく口輪をして、少しだけカットしました。」
 
 耳のことで怒ってしまう原因は、あとの健康診断でわかった。なんと、耳の先は凍傷によって腐り始めていたそうだ。
「とりあえず治療してみますが、最悪の場合、耳の半分ぐらいを切断することになります。
肉が腐っていて、毒素が体中に回ってしまうと、危険ですから。」と院長先生に説明された。
 かわいそうに …… この立派な長い耳を切断? 
 命が助かるのであれば、仕方がない。
短くなった耳のコッカ・スパニエルって、もらってくれる人はいないだろう。また我が家に1匹が増えそうだね。
 でも、連れてきて良かった。
あのとき気づかなかったら、春の訪れを見ないままで死んでいたに違いない。
 
 1ヶ月以上通院した結果、腐っていた耳の状態が少しづつ回復に向かっていた。
「治療をあと数日遅れていたら、耳を切断することになっていたでしょう。
なんとか、耳を切らずに済んでよかったですね。」
院長先生も私も一安心。
 、
毛も徐々に入ってきたし、だんだんコッカらしくになっていた。
 我が家のボス、ハリーには一目おきながら、犬たちと仲良くしてくれたし、
夜は私の布団にもぐり込んで、安心して寝るようになった。
 2ヶ月も生活を共にすると、名前が必要。
 毎日「おい、犬ッ!」とか「おい、コッカ!」と呼ぶわけにはいかないから。
 偶然インターネットにコッカ・スパニエルのイラストを見つけた。船長の帽子をかぶって、船をあやつる絵だった。
「これだ! 船長は良く似合うね。」
 よし、決まった。名前はキャプテン・フック。
 本人もこの名前を気に入っていたようで、「フック!」と呼ぶと、長い耳をゆらせながらそばへ飛んでくるようになった。
 
 コッカ・スパニエルという犬種はもともとプライドが高くて、頭もいい。
しかし頑固なところがある。アニメ映画のようなタイプは少ない。
 しっかりしないと、犬と飼い主の立場が逆になってしまう。
それをわかっていない人にとって、決して飼いやすい犬ではない。
 フックがこれから幸せになるために、やはり、コッカという犬種を良く理解できる人を探さなければならない。
 
 日本の場合、犬種を良く理解しないで犬を購入する人が多い。
だから犬とのトラブルが跡を絶たない。
 ただ可愛いから、流行だから、かっこいいからなどの動機で犬を買い求める人たちが多すぎる。
 ハスキーのときもそうだった。
ハスキー犬は走るために繁殖された犬。お手をする必要はないし、番犬にもならない。
一端放してしまうと、走って、走って、帰ってこれなくなるハスキーはけっこういる。
これさえわかれば、ハスキーは優しくて飼いやすい犬だ。
 日本人好みの芸ができないから、当時、ハスキーはバカだと決めつけた人たちが大勢いた。
 ある週刊誌に「ハスキー犬はバカだ」という記事まで登場した。
それを読んだとき、思わず笑ってしまった。
 ハスキーどころか、犬という動物を良く知らないでこの記事を書いた記者の方がよほどのバカだ! 
 
本当に、日本人の多くは犬に関する知識が低い。
 チワワの前で流行だったダックスだって決して飼いやすいタイプの犬ではないのに、空前のダックスブームになった。
 ダックスフンドはペットになる以前から、立派な猟犬だったし、今でも猟に使うことがある。
だから気が強いのは当たり前。吠えることも当たり前。
それを知らずに購入し、あとで困ったことになるということも当たり前。
言うことを聞いてくれないから、ポイッと捨ててしまう。
うるさく吠えるから、ポイッと捨ててしまう。
愚かな飼い主たちよ、少し頭をつかってちょうだい!
 人間にもいろいろな性格があると同じように、犬種によって性格は異なっている。
ただ人間との大きな違いは、性格の悪い犬もいなければ、バカな犬もいないということ。
 
 フックにいい里親を見つけるために、いつものように里親募集のチラシをつくったり会のHPにも載せた。
 雑種犬を里親募集のページに載せると、問い合わせはボツボツしか入ってこないのに、
今回の反応は今まで経験したことのない大騒ぎだった。メールを開くたびに、数十件の問い合わせが入っていた。
そしてチラシを見た人たちの電話も雑踏。
 さすがコッカに対する反応はちがうね。
 良かった、良かった。
 その中にフックにふさわしい人がきっといる。頑張ってひとりづつと面会をし、いい里親を選べばいいんだ。
 しかし、簡単に考えていた私はバカだった。
 日本人の犬に対する考え方をすっかり忘れていた。
 面会までにたどりつく前に、電話のやりとりでイヤになった。
「犬にはあまり興味がないが、コッカなら欲しい」といった感じの問い合わせばかり。
中には、去勢してあるかどうかの問い合わせも多かった。
 耳の治療が長引いていたため、去勢は完全に元気になってからと病院の先生に言われたため、手術はまだだった。
 でも去勢についての問い合わせのとき、私は「してますよ」と言うことにした。
里親に化けた繁殖屋に渡したくないから、ウソも方便。
 けっきょく、今回の里親探しは骨折り損のくたびれ儲けだった。
 
 ある日、やっといい家族と巡り会うことができた。我が家の近くに住んでいたとても品のいい家族だった。
フックをおばあちゃんの家で飼いたいから、是非、里親になりたいとのことだった。
 例によって、我が家の里親検査犬ドンと一緒に、その家族の家まで見に行った。
犬を迎えるための準備はちゃんとできていたし、フックが走り回るような広い家だった。
 ここなら大丈夫だ。安心してフックを任すことができた。
 
 三日後、その家族から電話がかかってきた。
「今日、私が留守をしているあいだに、フックがおばあちゃんに噛みつくようなしぐさを見せたらしいです。
それでおばあちゃんが怖くなって …… どうしたらいいのか、困っています。」
「その前に何かありましたでしょうか?」
「はい、ゴミ箱をあさったときもそうでした。やめさせようとしたとき、やはり唸りながら歯を見せました。」
 おかしいね、我が家にいたときはこのようなしぐさはなかった。
イタズラをしたときに「フックッ!こらッ!」と叱るだけでいいコにしていたのに。
 頭のきれるフックだから、きっと、ボーとしているばあさんをバカにしていたと考えられる。
「フックのようなコッカはけっこう頑固ですから、強いリーダーシップでないとバカにされますよ。
そのことをお会いしたときに説明したはずです。」
「はい、良く理解していたつもりですが、おばあちゃんと子どもたちが怖がるので、
現実的に考えると、我が家はやはり無理ですわ。できれば、引き取っていただきたいのです。」
 
 ヤレヤレ …… けっきょくその日にフックを迎えに行った。
 不思議なことに、我が家では何の問題もなかった。
たしかに、ゴミ箱に顔を突っ込むことは好きだ。でも、いつものように「フック! こらッ!」と注意するだけでやめてしまう。
 子どもたちにイヤなことでもされたのか …… ?
 
 2ヶ月後、また良さそうな家族が現れた。前回と同様、足立区に住む家族だったが、やはり2週間で返された。
 理由は同じ ー 子どもたちに噛みつくようなしぐさを見せたから。
 べたべたとしつこくさわってくる子どものせいかもしれない。
 考えてみると、前の家族と今回の家族には小学生の子どもがいた。
親の見てないとき、フックの嫌がることなんかしただろう。たとえば、耳を引っ張られたとなると、怒るのはわかる。
 
 仕方がない、フックを我が家で飼うとあきらめたとき、目黒の人から問い合わせが入ってきた。
 目黒の里親だ。山の手の人間だから、きっと犬に対する理解がちがうだろう。
今度こそ幸せになってくれると確信し、我が家で里親と面会してから、フックを目黒まで届けた。
 期待していた通り、今回は大丈夫だった。
 念のためにたびたび電話で聞いてみることにしたけれど、いつも「いいコにしていますよ」との返事だった。
 小さな子どもはいないし、コッカに対する理解力と知識もあるし、フックにとって願ってもない里親だ。
 フックはもう帰ってこない……。
 寂しさもあったけれど、幸せになっていると考えると、嬉しさもあった。
 
 1年すぎたころ、フックを飼い続けることができないという突然の連絡!
 マサカ、また?
 フックの面倒を見ていたひとり娘が親と喧嘩したのか、男ができたのか、
理由ははっきり言われなかったが、なにしろ、家を出てしまったようだ。
 今はペット禁止のアパートに住んでいるし、店を営業している両親は朝から夜遅くまで家にいない。
 当然、一日中独りぼっちのフックはおもしろくない。
リビングはオシッコとウンコだらけ、ゴミはあさる、そして夜になって怒られると唸りながら向かってくるようになった。
 
 何という不運の星の下で生まれた犬だろう。
 かわいそうなフック …… 。
 

 目黒からの帰り道。フックは車の助手席に座って、訴えるような目つきで私を見つめていた。
「心配するなよ。これからずっとうちにいればいいんだ。この里親騒動はもうこりごり。」
 それを聞いて、フックは嬉しそうに短い尻尾を猛スピードでふって、膝の上に顎をのせたままで寝てしまった。
 かわいそうに、疲れてるねフックちゃんは ……
 家に戻ってから、フックは長い旅から久しぶりに帰ってきたのように、みんなの歓迎を受けた。
 
 フックの里親募集は中止!
 定期的に作成する里親募集のチラシには載せなかったし、会の里親ページからも削除した。
 先のことを考えずに、ブランド犬ばかりに目を奪われている日本人とのやりとりはもうたくさん。
 正直言って、フックも私も疲れてしまった。

 ある日、女房の知り合いから電話がかかってきた。
近くの動物病院でたまには会うことのある、老犬を大切に飼っている人。
「奥様から聞きました、フックが返されたんですね。かわいそうに …… 。」
「はい、娘が家を出たから、面倒を見られなくなったという理由で返されました。」
「そうでしたか …… もし良ければ、我が家で飼ってあげたいと、夕べ主人と相談したところです。」
「フックを?」
「はい、今のワンちゃんはかなり年なんですが、元気なうちにもう1匹を我が家に迎えたいと話し合ってきました。」
「そうですか …… あの、コッカはけっして飼いやすい犬ではありません。
このフックくんの性格はとてもいいのですが、難しいところもあります。
私に対しては本当に問題なくいいコですが、どうも、子どものいる里親とはうまくいかないようです。」
「はい、奥様から聞いています。今いるコもけっこう気の難しいところがありますから、大丈夫ですよ。
うちの子どもはそれをよくわかっているし、気むずかしいのは慣れています。」
 この言葉を信じて、フックを預けることにした。
 
1年がたったごろ、フックについての相談電話が増え始めた。
 とうとう ー 凶暴だという理由でフックはまた返されてきた。
 子どもに噛みついたようだ。
家族に対してだけではなく、散歩中に出会う他の犬に対しても凶暴なしぐさをする。
フックのことで家族みんなが怖くなって、これ以上飼いつづける自信がないから、引き取って欲しいと言われた。
 
 迎えに行ったとき、フックはその家族の方へ一度も振り向かずに私の車に乗り込んだ。
オシッコをさせるために、途中の公園で車から降ろした。
散歩に来ていた他の犬たちに唸るどころか、尻尾をふりながらの挨拶。
 ちょっと待ってよ、話は全然ちがうじゃないか?!
 フックがいなかった1年のあいだ、我が家にいる犬たちの数が増えていた。
山梨からの新入り数匹がいた。
フックにとって初対面の犬たちだが、我が家の玄関に入った瞬間 ー 何もおこらなかった。
 さっきの公園にいたときと同じ。みんなで尻尾をふりながら、初対面の挨拶を嬉しそうにかわした。
 何が凶暴だ! 聞いてあきれる!
 おそらく親が留守のときに子どもにイタズラされただろう。
もともと子どもが苦手なフックは、それを我慢できなかったから噛みついた。きっとそうだ。
親は当然のこと子どもを庇うから、フックにとってはおもしろくない話だ。
「こっちが被害者なのに、なんであいつを庇うのか?」
 犬にそう思われたら、お終いだ。信頼関係は崩れるし、飼い主に対する尊敬はなくなる。
 そうなると、コッカだけではなく、どんな犬でも手に負えなくなる。
 
 

 追伸:
 CMまたはバラエテイ番組に出演する犬が流行になると、日本人はすぐに飛びつく。
なにも考えずに飛びつくのだ。飼っている犬を捨てても衝動買いをする。
 テレビに出ているラーメン屋に行列ができると同じ感覚だ。
不味いのか、美味しいのか、それは二の次。
犬や猫も同じだ。流行の犬にしか興味がない。
自分が飼える環境や状況にあるかどうか、それは二の次
 今では、ペットショップだけではなく、工務店でも犬や猫の販売を行うことになった。
トイレットペーパーを買うついでに犬でも買うか、といった感じで犬や猫が次々売られている。
 計画性もなければ、受け入れ準備もない。
そしていちばん困るのは、犬に対する知識のない人間が、突然、飼い主になる。
なにしろ日本の場合、売る側も無責任、買う側も無責任。

 そして問題がおきると、犬が悪い。
 さあ、その「悪い」犬は保健所行き!
 日本では、珍しくない話だ。
 
 
 
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  そうそう、忘れるところだった。フックの不運の連続はようやく終わった。
     今は暗い過去を忘れて、尊敬できる家族に暖かく見守られている。