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観光足立の絵葉書
桜の名所「中川堤」
西新井大師の「藤の花」
ヨットが浮かぶ荒川と「お化け煙突」
昭和30年代の「中川堤の桜」
足立区・「桜の名所」・一覧
江北の「五色桜」
名勝「荒川堤の桜」の碑







足立区観光絵葉書 「足立区観光絵葉書」
昭和30年前後と記憶しています、この「絵葉書」は「梅田支所」に行き買い求めました。夏の暑い日で区役所の職員は腕まくりで汗を拭き拭き応対してくれました。旧道の角で、門から10メートル程のところが入り口で、「板張り」のフロアは所々小さな穴が開いているほどの「オンボロ庁舎」でした。

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「春は桜の中川堤、富士も筑波も、ほんのり化粧、牡丹大師の願かけまいる、足立むすめの恋も咲く、テモサッテモ、足立よいとこ、足立よいとこ、花どころ、スッチョンナ」
A柳町、仕掛け花火、千住新橋、粋どころ
B米どころ、菅笠、切花
Cお化け煙突、工場の煙、やっちゃ場
と、当時の足立区内の自然と農業と工業の様子が歌い込まれてます。

作詞 貞目路 圭介
作曲 大村   能章

現在の「足立区庁舎」と比べ、また歌詞から自然の様子と比較すれば、隔世の感があります。


足立区観光協会 発行

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中川堤の桜(絵葉書)
「中川堤に咲く桜のトンネル」
バスも止まっています,花畑車庫からここ六ツ木を通り、八潮まで定期乗合バスが運行していた。
ここは現在の「六木三丁目」の土手で、中央の川が窪んでいるところが、「花畑運河」の入りこむところで「花見橋」です。
左上、桜の上にこんもりと感じられる「緑の森」が「佐野カン」さんの屋敷、この先延々と桜のトンネルが飯塚橋迄続き、それは見事に咲き誇り、足立の大イベント「中川堤桜まつり」として、多くの人々が楽んでいました。


三枚組みの@














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大師の藤 「西新井大師の藤」
三枚組みの二枚目は「大師の藤」。50年程経過した「絵葉書」でもまだ鮮明で、空気が澄み、花や葉が生き生きと、瑞々しく感じられます。
しかし、歌詞にもある通り、工場が活発に操業始め、公害が問題になる、寸前の「ひとコマ」なのです。


三枚組みのA
















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放水路とお化け煙突
「荒川放水路とお化け煙突」
荒川放水路では夏季「遊泳場」が開かれ、多くの少年少女が水泳を覚え、「貸しボート」もあり、憩いの場でありました。
バックには「足立のランドマーク」とも言える「お化け煙突」と西新井橋の南側には、たくさんの煙突が林立して、盛んに煙を上げています。
当時は戦後の復興期で「煙」が産業のバロメーター的に見る向きもありました。
「工場だ機械だ、鐵だよ、音だよ、どどどん どどどん ピストン 腕だよ あっちへ こっちへ がたとん がたとん」等と「音楽」の時間に習った歌にありました。


三枚組みのB

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桜祭・中川堤 昭和30年代の「中川桜まつり」
飯塚橋際から六ツ木方向を望む桜の「トンネル」
足立区の桜の名所は当時は、ここ「中川堤」と江北の「五色桜」が双璧
昭和30年に飯塚橋が架橋され「飯塚の渡し」が廃止された。そろそろ自動車の時代が近くなり、桜も老木となり、水害などの危険性など、堤の強度も問題で、残念ながら、切り倒された。








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現在の「足立区・桜の名所」


東綾瀬公園 東綾瀬1、2、3丁目 約850本
花畑公園 花畑4-40-1 約80本
しょうぶ沼公園 谷中2-4-1 約250本
大谷田公園 大谷田4-4-1 約80本
舎人緑道公園 入谷9-10の先・・・・・・3-11の先 約350本
元淵江公園 保木間2-17-1 約100本
葛西用水親水水路沿い 大谷田2丁目〜神明3丁目 約350本
五色堤公園 江北2-8 約24本
足立区観光協会ホームページより


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江北の五色桜
明治から昭和初期まで、荒川堤は東京の名勝「五色桜」とよばれ、1924年(大正13)国の「史跡名勝天然記念物」に指定された。
東京市内から多くの花見客が訪れ「掛け茶屋」がならんで賑わっていた。
明治43年(1910)三皇孫殿下(後の昭和天皇・高松宮・秩父宮)が観賞に訪れる。
この桜は1886年(明治19)、江北村の人々の協力によって78種、3225本の苗木が荒川堤に植えられた。
この桜の苗が、1912年(明治45)東京市から日米親善の為アメリカに寄贈され、ワシントン市ポトマック河畔に植えられ、同市の名所の一つとして、全米の人々に親しまれている、有名な「ポトマック河畔の桜」です。。

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都市農業公園に移された「名勝・荒川堤の桜」の碑
五色桜が「史跡名勝天然記念物」に指定されたのを記念して建てられた。
荒川の改修工事によって、桜の木は切り取られ「記念碑」は現在は都市農業公園に隣接する、新しい荒川堤防上に移されています。

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