足立のちれきみんW

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足立の夏

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7月第三日曜 花畑大鷲神社-獅子舞 7月15-16日 勝專寺・えんま開き
6月30日 千住三丁目氷川神社・茅の輪 7月-8月初旬 堀の内公園の古代蓮の花
6月30日 千住仲町氷川神社・夏越の神事 7月21日-8月22日 西新井大師・風鈴祭り
7月T日 足立三丁目「西の宮」・・・・「富士山・山開き」 7月土用の丑の日 安穏寺・ほうろくの灸
7月T日 綾瀬稲荷神社の「富士山・山開き」 7月下旬 足立の花火・足立観光協会
7月T日 千住大川町氷川神社の「富士山・山開き」


花畑大鷲神社の獅子舞 花畑大鷲神社の獅子舞

七月の第三日曜日に大鷲神社本殿前と境内に設えられた「庭」と言われる四本柱の中で行われる。以前は七月十五日と決められていたが、近年は、第三日曜日に変わった。「御祈祷獅子」といわれ、農作物への「病虫害退散」「五穀豊穣」を願ったものです。暑さを迎え農作物、とくに「稲作」の豊作を祈って、獅子舞は舞われ、奉納されてきたのです。現在は稲作は全然行われていませんが、地区の人々の健康を祈って奉納されています。






福寿院で支度、「舞」を奉納してから、笛の音を奏ながら大鷲神社へ向かう

大鷲神社へ向かう



大鷲神社拝殿前で舞う

「庭」に上がって舞う


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千住三丁目氷川神社の茅の輪 千住三丁目氷川神社の茅の輪

一年に二度、十二月と六月に行われます。六月に行うのを、「夏越の大祓い」といわれ.人の心に積もった塵を清掃するのが「大祓」です。茅の輪をくぐると災厄を免れるとも、各地で言われていて、小さい茅の輪を腰につけていると疫病除けになるとも、古くから茅がやに霊力があると信じられてきた

六月三十日




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千住仲町氷川神社夏越の神事 仲町氷川神社
夏越の神事


仲町の氷川様でも「夏越の神事」が行われます。
茅の輪くぐりはそのくぐり方に「作法」があります。敬虔な気持ちで作法に則り、くぐりことにより、罪穢を祓い疫気を避けることが出来ます。


写真と情報は相川 謹之助さんに提供して頂きました.














写真は、足立史談会の清水 繁さん、
に提供して頂きました.








千住仲町・氷川神社の「形代」
形代
 神社より「形代」が氏子に配られ、形代の人形に氏名、年齢、を認め、身体を撫ぜ、息を吹きかけ、神社に納め大祓いをうけます
身体の悪い部分を取り除いて水(川)に流す。

以前は「形代」を荒川から船で東京湾まで行き流してきた。(01-6-30)


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足立三丁目「西の宮」・・・・「富士山・山開き」

溶岩富士は綺麗に清掃され「マネキ」が建てられ、登山記念碑には注連縄が張られ、七富士参りの人々を待ちうけます。神楽殿では「お囃子」が奏でられている。2001-7-1

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綾瀬稲荷神社の「富士山・山開き」
溶岩富士は丁寧に清掃され、近隣の富士講の「まねき」を張り、稲荷社本殿で「足立区文化財・山包丸渕富士講資料」の祭具を用い一連の儀式を行う。近年は、講員の参加も少なく役員によって継続されている。

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千住大川町氷川神社の「富士山・山開き」
大川町氷川神社の富士講は、塚の前に祭壇を立派に建て「十三夜同行」と染め抜いた幟を立てて、七富士参り」の講社の人たちを待ち受けます.
2003-6-30



05-7-1 大川町・・富士山開き


富士講の人たちによる神事

足立史談会・矢沢幸一朗氏・撮影


 早稲田の丸藤宮本講が元講で。その枝講が丸藤千住十三夜同行です。千住十三夜同行が設立されたのは、確かな記録はないが、寛政7年(1795)ぐらいと考えられます。その後20年ぐらい経って文政7年(1824)千住の 富士塚 が出来ました。講名の由来は、丸藤は元講の名、千住は地名、十三は行者、食行身禄の命日、夜同行は講中の人は昼間働いているので、法会の行事は夜行う。以上が講名の由来です。
現在講の人数は40名位です 相川謹之助氏・調べ
2005-7-1








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勝專寺のえんま開き


勝專寺・閻魔大王
勝專寺のえんま開き
一月と七月の、十五-十六日に(えんまさま)のご開帳です
江戸時代(天保9年-1838)刊の「東都歳時記」にも千住の閻魔さまと、しるされ、古くから庶民に親しまれてきました。

平成15年7月16日














勝專寺・縁日の賑わい
老若、男女が参詣に訪れ、門前、境内に多くの縁日・出店が立並んで、昔懐かしい縁日の風情が味わえます


平成13年7月

平成15年7月16日
門前は勿論、境内も左右びっしりと立ち並ぶ露店。国際化がここまで押し寄せ、「タイのラーメン」、「韓国のチジミ」、「フランスのクレープ」と目先が変わったものや、目新しいものが、若い人の興味をひいている.
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西新井大師の風鈴祭り

七月十二日〜八月二十二日
(2003年)



2002年の「風鈴祭り」

2002年7月23日



2003年「風鈴祭り」

2003年「風鈴祭り」
平成15年7月12日〜8月22日まで

2001年

全国の各地から、ガラス、鉄鋳物、陶器、備長炭などでできた色とりどりの風鈴が、それぞれの音色を奏で涼を誘っております。
即売もしており、西新井大師のオリジナルはガラスの内側から「牡丹」の絵柄が描かれたものです。



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堀の内公園の古代(大賀)蓮
堀の内公園で咲く
古代の(大賀)蓮

終戦直後に、登呂遺跡が発掘され話題に成った、同じ頃、1951年に千葉県検見川で「大賀はす」と言われる、古代蓮の種子が発見され、芽が出て花が咲いたと大きく報道され、考古学に関心が向けられました。その後、「大賀はす」の種子は各地に分けられ、足立区でも1987年「白旗塚古墳公園」の開園の際、植えられましたが、枯れ死してしまいました。1998年「堀の内公園」の池を蓮田に改良し、再挑戦した結果、見事に「蓮の花」が開花しました。
古代のロマンと、自然の不思議さ、生命力のたくましさを求めて、一度ご覧下さい。見頃は、八月上旬ごろまでです。













2001年7月
写真と情報は足立史談会の瀬田良雄さんから
提供していただきました。

2003年7月12日
「大賀ハス」が咲きました、と、「足立のちれきみん」の閲覧者である、足立区栗原町にお住まいの星野文男様より写真をお送りいただきました。












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島根安穏寺のほうろく灸


2001年7月は25日ですが、毎年7月の「土用の丑」の日におこなわれます。

2003年7月27日:土用の丑の日

2004年7月21日:土用の丑の日





江戸時代から続く、夏の修法で、「頭痛除け」に効能があるといわれ多くの人々が訪れます。素焼きの「焙烙」を頭にのせ、その上に、ゴルフボール大の「もぐさ」乗せ、火を点ける。大きな額に「神通力」と書かれた佛前において加持祈祷をうけます。本山「中山法華経寺」において、冬季三ヶ月に渡る激しい「修行」をつみ、祈祷資格を得た、頑強な体躯の僧侶に依って行う、「加持」は暑さも吹き飛び、身も心も洗われます。
頭痛除け
中風除けといわれ、最近では脳神経系の病を気にする人が祈祷を受けにたくさん訪れます


安穏寺・焙烙の灸・05-7-28

2005-7-28

若い家族・子供さん方も見え、心と体の健康を願う気持ちは年齢にかかわらず、みんなの希望である事を、改めて感じる。

一人ひとりに対して、頭、肩、背中と経巻でさすって、病を退散させ、病気に罹らない、健康な体で一年を過ごせるように「喝」を入れるべく、一気に気合を伴っての加持祈祷。


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千住の花火

2002年7月:荒川土手・梅田3丁目付近より足立史談会々員:清水 繁 氏撮影




足立区は「千住の花火」ガ終了すると「北千住駅」に帰りのお客さんが集中し危険である為、事故やトラブルが起きないように、地元商店会に対し帰途につく見物客が自然立ち寄れるような「イベント」を開催するように依頼していたところ、「柳原商栄会」が地域の活性化にと、「おわら風の盆」をメーンにイベントを開催した。
花火が終了する時間にあわせ、JR常磐線線路付近から堤防に沿って柳原商店街まで静かな踊りの「おわら」が流し踊られた.







03-7-24
柳原商栄会が「光のおわら」を静かに流し踊る
相川謹之助氏より写真提供



青井3丁目から千住の花火

千住の花火 千住の花火


千住新橋の開通を祝って始められた。区民に「憩いの場」を提供、足立区のイメージアップ、そして観光の発展向上と区内産業の振興を目的として、毎年開かれます。

戦前行われていた「花火」が戦後1949年に復活したが、その時もすごい人出で午後4時頃からは人寄せの「音」と「落下傘」も打ち上げられた。現在の「青井」地区にまでとんで来ました。自動車が殆んど走っていない時代でしたので、こども達は夢中で落下傘を追いかけていました。
この写真は「青井三丁目」の十階建ての建物から写しました。この四、五年青井地区にも高い建物が多くなり、広場も無くなり「千住の花火」を、それぞれの家からは見ることが出来なくなってしまった。
(01-7月)


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