綾瀬村・・T

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@ 綾瀬村付近図 D 大室家・・綾瀬神社
A 古隅田川・・下河原公園 E 新撰組と金子家
B 北野神社 F 工場・・龍慶寺
C 薬師寺


千代田線綾瀬駅周辺は、駅ができる以前は田畑が一面に広がる田園地帯でした。伊藤谷橋から一本の道が綾瀬,駅からヨーカ堂の北側を抜け東和の商店街まで、くねくねと曲がりながら進み、飯塚橋(渡し場)まで続いていた。途中「下河原公園」の北で水戸街道・「大曲」からきた道とT字路になりその角に「道標を兼ねた庚申塔」が案内標識として建っていた。

その「庚申塔」を見るところからスタートしよう。「下河原公園」に移された庚申塔には「右・六阿弥陀道」「左江戸道」と書かれており、水戸街道・大曲から千住を経て江戸に向かう、一方「六阿弥陀道」とは綾瀬駅の北から伊藤谷橋を渡り、西に進むと「木余り・性翁寺」へとつらなります。
「下河原公園」の南側、常磐線(千代田線)の手前の道が,遠く鎌倉時代には「武蔵の国」と「下総の国」を隔てた利根川の本流、(古隅田川)です(
(現在この部分は暗渠化され・・隅田橋と表示あり)。「遊歴雑記」に(古隅田川)に付いて、この付近様子を詳しく書きどめています。現在の「区境」がほぼ、利根川の本流。区境である両区の地番を見ながら曲がった道をゆっくり、大昔を想像しながら歩いて見ては如何でしょう。

綾瀬2丁目23番の「北野神社」に一寸寄りましょう。北野神社は「菅原道真」を祀る「天神様」です、大きな「撫で牛」が向かえてくれます。ここには珍しい「宮殿型・庚申塔」があります。
境界沿いに西に進み綾瀬川に出ます。

@ 綾瀬村付近図










A 古隅田川・・下河原公園


下河原公園・・「庚申塔・道標」
区画整理前はここより100メートルほど北に建つ、南に行くと「大曲」から江戸へ、東が「飯塚の渡し」へと刻まれてい



区境を流れる「古隅田川」、鎌倉時代は「利根川」、歴史的な土地ゆえ、橋の名前で残す

北野神社の[撫で牛」





B 天神様の北野神社




北野神社・・「菅原道真」を祀る
学問の神・天神様と親しまれている。

区内でも珍しい形の庚申塔

古隅田川も一部分はこうして水が流されている。




C 万葉公園・・薬師寺


ここの綾瀬川は江戸時代に花畑から千住曙町(隅田川)まで新川として開削されました.そのため、うねって流れていた「利根川(古隅田川)」は分断された。しかし、旧川筋は小菅拘置所の北東側から拘置所を取り巻くように東武線小菅駅近くまで残り、川縁りは、現在「万葉公園」として整備され、広く区民に親しまれています。

綾瀬1丁目10番地の「薬師寺」へ寄りましょう。門前に大きな「庚申塔」があり、其処には庚申信仰の説明が刻まれています「人間の体の中にいる「三尸の虫」が常に人の善悪、過失を監視し、庚申の夜、虫は天に昇って天帝にその人の善悪を告げる、罪科が多いと命が奪われるかも?そこで、60日目に来る庚申の晩は虫の昇天を防ぐ為、一晩中寝ずに過ごす。(概略が説明板に書いてあります)。




万葉公園・小菅拘置所を囲むように、歴史・散歩コースが整備されています。

旧伊藤谷(綾瀬一丁目)薬師寺

中国伝来の「三尸説」が書き刻まれている、足立区唯一のもの




D 大室家・・綾瀬神社


ここからは、土手道を北に進み、綾瀬駅の西側ガードをくぐり北進、白壁の蔵と時計が目をひく「大室家」、足立区で盛んであった「晒し業」を手広く営んでいた.「大室家」の北側に「綾瀬神社」があります。区の登録文化財「綾瀬富士」、本殿の前には狛犬が(落語家・円丈)さんが奉納されたもの。足立区在住の(落語家・円丈)さんは、狛犬の研究家で「こまけん」というホームページを立ち上げております。



大室家・足立の産業「晒し業」を以前は営んでいた.
綾瀬富士・現在でも7月01日には「山開き」の行事が行われている.

落語家・円丈さん奉納の狛犬





E 新撰組と金子家


綾瀬神社からさらに北へ、道路橋をくぐった右側の家が「金子左内家」で、新撰組・近藤勇が流山で捉えられる前、慶応4年3月14日から4月1日までの19日間、観音寺や近隣の家に分宿して、屯していた。総勢227人も集まり、世情がら精神的な負担や、その世話(経済的)等で迷惑を蒙った外に、後日、新政府軍より強いお叱りがあったということです。
新撰組・近藤勇が足立区五兵衛新田の金子家に滞在した事は、金子家の古文書(区登録文化財)に残り、「足立史談99号」に解説が掲載されています。



金子家に残された「近藤勇」の写真











2004年NHK大河ドラマ新選組・第48回・「流山」・平成16年12月5日・放映のシーン・・足立区の綾瀬(五兵衛新田)に残された記録の史実を取り込み、十九日間屯所として隊員を募り、次の行動に移るまでの場面を数カット放送された。


甲州で敗れた近藤達は、江戸に戻り、江戸の中心部を避け五兵衛新田で(足立区綾瀬)密かに再起を期していた。

土方・・「かっちゃん、ここで新しい新撰組を作ろう」
勇・・「まだ、やるか?」
土方・・「これからだ」


息子が帳面に何か書きながらくる。
勇「周平、何しておる」
周平・・「ここは徳川さんが幕府を開いた頃、方々からきて開拓したところです、(京極弥五郎が開いたのが弥五郎新田)、(金子五兵衛が開いたのが五兵衛新田)
勇・・
息子の肩をたたいて
「よく調べたな」
息子・・「こういうの、好きなんです」
勇・・
「あいつは、変わったヤツじゃー」といいつつも、若い人が新しい知識を身に付け、新しい時代に向け勉強していることに感心しているようだ。



金子左内家・・新撰組が19日間屯所として、滞在し、その記録が残された、この建物は現在は取り壊された。
記録の中で、政治的な動きは余り見られないが、代官・佐々井半十郎との手紙のやりとりや、船が何度か江戸まで行き来しているので、今戸の医師・松本良順らと情報交換に人が出向いたものかも?。隊員が日を追って増えて、集計すると227人にもなる。その隊士が全員流山に向かったか、数日後に近藤勇は流山で捕らえられた。
屯所書付・辰三月
19日間の様子が書かれている.滞在費用の明細の外、隊士が日を追って集まり、その人数が記録されている。新撰組の歴史研究に欠かせない資料です。

お礼として「金・弐千疋」を[近藤勇」は大久保大和と名を署名して金子家に渡した






新撰組が19日間、綾瀬に滞在した。
足立区文化財「金子文書」が受け継がれてきた.現在の金子左内家2005-7

足立区登録文化財の説明版
教育委員会によって建てられている.








F 工場・・・龍慶寺・・神明宮



又、土手道を川上へと北上すると、大きな工場の脇にでます。昭和の初期、花畑に変電所が出来たので、その電気の受電に便利であると、ともに、綾瀬川の舟運による、原材料、製品の搬入、搬出の好立地の為、進出してきた。工場の北側を、こんどは東に進むと龍慶寺にでます。

本堂への参道の両側に、石垣台上に石像がある。左が「地蔵菩薩像」、右が「聖観世音像」。天保5年造立、施主は千住宿の幸手屋・神谷万右衛門、作者は、千住4丁目・助七と刻銘され、地元の人達による寄進者、作者という意義ある石像である。「足立区有形文化財」に登録されている


門前に並んで「神明宮」、成田山への道標、水神の碑、お堂には「鷹」の絵馬が奉納されています。


千代田鋼鉄・・電力を大量に消費する「電気炉」で「くず鉄」を溶かして、建築材料の鉄筋を製造している。

龍慶寺・本堂

「千住の幸手屋・神谷万衛門」の奉納。地蔵菩薩像



聖観世音菩薩像
足立区有形文化財)

龍慶寺と並んで建つ。神明宮

「千住絵馬」の「鷹」が奉納されていた。
諸願成就。高く飛ぶところから、立身出世などを祈願する。



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